上棟式のご祝儀は“ひとり○○万円”でお願いします!
お祝い金をせびる「佐藤建設」の醜態!!

佐藤建設は“中間金欲しさ”に上棟の体をなしていないのに強引に「上棟式」を挙行しました
しかし、職人は『今日、上棟(式)をやるなんて聞いてねえよ!』という言葉を投げつける始末でした――。


□建築主にご祝儀の金額を提示する「佐藤建設」

上棟式とは、「棟上げ式」または「建前」ともいわれ、柱や梁、桁、力板などの骨組みが完成した後、棟木を
取り付けて補強する際に行う儀式のことを指します。本来は棟梁自身が建物が完成するまで、災いが起こ
らないようにとの願いをこめて行うものだったとか。

近年では、必ずやらなければならない物ではないそうです。私はお金は建設費用に少しでもまわしたいのと、
佐藤建設の着工からの対応に不信感があったため、「上棟式」を催す事に乗り気ではありませんでした。

しかし、佐藤社長は『上棟の当日は“会社からは人件費を出さないので、お施主さんから「ご祝儀」と言う形で
1人当たり○○万円を支給してください』と、私たちに強要するのです。

この時、巨匠・菊間建築士は今回の上棟式には『棟梁クラスばかりが出席するのだから、それ相応の金額を
包まないとないとまずい』と、付け加えます。

何ということでしょうか。ご祝儀とは本来、建築主が職人に対して感謝の気持ちを包むもので、”施工会社が
金額を掲示”するなんて聞いたことがありません(写1)

おまけに昼食は、し出し弁当で『○○○○円位の折り詰めを用意してください中には、赤飯、お餅にお酒も
忘れずに』等、仔細に注文をつけられました。

両親は昼食を現場近くにある、「会席料亭」に決めていたのですがここまで言われたら、こちらはもう、何も
言えません。それにしても、大きなお世話です!!

一般常識を兼ね備えた両親の事、こんな事まで言われてさぞや悔しかったと思います。伊東の建築関連業
者はどの様な感覚を、持ち合わせているのでしょうか。

伊東市は佐藤建設のような業者を、「住まい作り相談会」に参加させた責任が大いにあると思います。伊東
建設業協同組合
も、銭勘定より、組合員の“しつけ”をした方がよろしいのではと思います(笑)。

写1 「昼膳」の項目にはセットの内容もこと細かく指示し、「ご祝儀」の項目はしっかりと「金額」と「祝儀袋」の数を記入するように“懇切丁寧”な配慮がされている。さすが“守銭奴建築会社”は、抜け目が無い。私なら「上棟式」の「式次第」を用意するが・・・。


両親は過去、新築に際して「上棟式」を行いましたが、本当に労いの気持ちで一杯でした。今回はさすがに
「(佐藤建設は)ヘンな事を言う会社だ」と、改めて思ったそうです。たかり体質は、伊東市の建築業者の習
慣の一つと思います。

また、上棟式の打ち合わせの席上、佐藤社長は私たちに向かって『昔は多い時で30万円貰った事がある!』と、
自慢までする始末です。「1千万円」ものお金を借りに来る「佐藤建設」です。この様な御仁の事を厚顔無恥
という言葉が、当てはまると思いました。

疑念を抱きつつも、巨匠・菊間建築士と佐藤社長の2名の話術に飲み込まれた両親は、上棟式に最適な日
取りを決めたのです(決めさせられたと言った方が当てはまります)。

決められた日は、平成19年8月6日。この日は私たち家族にとって、生涯忘れられない日にちとなりました。

それは巨匠・菊間建築士と佐藤社長は、両親が楽しみにしていた“業者主導”の「上棟式」を、ぶち壊したの
ですから――。


□上棟式当日挨拶どころか暴言をはく佐藤建設の大工「森田 宏」

私たち家族の意向が反映されない形で、日取りが決まった「上棟式」。肝心な工事の方は、遅々として進みま
せんでした。基礎の養生期間も無く、8月3日から、一気に建て方に入りましたが、本当にこのままで「上棟式」
に間に合うのだろうか? と疑問に思うのは当然です。

監理者である、巨匠・菊間建築士は両親に『大丈夫! 現在は基礎の養生も短期間で済むし、養生など最近は
しないことが多い。それに私がついているのだから、安心だ』と、繰り返し言ったとか。

しかし、世の中、そんなに上手くは運びません。残された写真を改めて見ると、「足場を組みながら建て方をし、
同時に“基礎”を造っていたのです」素人目にも、おかしいと映ります。これらも、巨匠・菊間建築士の指示だった
のでしょう・・・。

兎にも角にも、8月6日に上棟式を迎えましたが、信じられない事が起きました。12時から式を開始
する予定でしたが、私たちが現場に行くと、すれ違う職人から挨拶の一言はありません。

もともと、佐藤建設の現場は「挨拶」出来ない職人ばかりでしたが、さすがにこの日は頭に来ました。

驚く事に巨匠・菊間建築士の姿は現場にはまだ、なかったのです。

不穏な気配が漂う「上棟式」。

佐藤建設の「稲葉元秀」という、“建築士の肩書き”を持つ人物は、ご祝儀が目当なのか(笑)、形式的なお祝い
の言葉を唯一、残しました。

この稲葉という人物は佐藤建設を早々に見限り、伊東市の「幸建」という、建設会社に現在は、籍を置いています。
巨匠・菊間建築士は以前、この稲葉“建築士”のご尊父が代表を務める「設計事務所」に在籍していたのですから、
伊東の建設業界は、本当に狭いと思います(笑)。

さて、「上棟」の開式時間になった頃でしょうか。突然、佐藤建設の職人の怒号が耳に飛び込んできました。
怒号の主は「森田宏(写2)という、“ベテラン大工”です。

『棟上は間に合わないって最初から言ってたじゃねえか!』と言うと、勝手に自分が持参してきた弁当に、
箸をつけ始めたではありませんか!

写2「信頼できる 地域の工務店探し。」を約束する“ハウスコンビニ”のサイ
トから。佐藤建設の社員紹介のページに暴言の主、森田宏の紹介があった。建築主に「暴言をはく」なんて、伊東の建設業者では、日常茶飯事だったのだろう。 この「森田宏」の息子は、建築主に傷害を与えた「柿島硝子」に勤めていたことを後日、知りました。「伊東の建設業集団」は、団結力が強いですねぇ(笑い)


この光景を目にした両親の驚きと悲しげな顔を、私は終生忘れる事はできません。私は「祝いの席にたび
重なる非礼な対応は許せない、帰ろう!」と、両親を促しましたが、父は「伊東の人たちのこれが実態なん
だよ。仕方が無い――。」
と言いながら母を慰めるのに必死でした。

ここでは記しませんが、「上棟式」に建て方が間に合わなかった深い理由が実は、隠されていたのです。
その事は巨匠・菊間建築士と佐藤社長の二人だけが知っている、極秘事項でした。


おまけに巨匠・菊間建築士は、上棟が始まっても、現場にその姿は無く、一体、伊東の建設業界はどうなって
いるんだろうと再度、実感したのです(巨匠の携帯に連絡を入れたところ、時間を間違えていたと、たいそうな
言い訳をしながら“手ぶら”でやって来たのには二度ビックリしたものです)。

写3は上棟式終了後、職人たちが引上げて直ぐの写真です。これから使う部材は泥の上に放置し、「ご祝
儀」を手にしたら、そそくさと、帰ってしまいました。当然、巨匠・菊間建築士と佐藤社長も「いただくものをいた
だいたら」即効で、現場を後にしてしまいました。残された私たちは、虚しさが残ったのと、伊東の業者の対応
に改めて憤りを覚えました。

上棟時の「工事」が工程通りの進捗ではなかったため、2回目の支払いとなる「上棟時」の支払いは、留保する
形となりました。心情的には、「上棟式」にならなかったこともあります。

また、金融機関からも進捗状況が契約通りではないのなら、支払日を延ばした方が宜しいのでは、との申し出
もありました。佐藤建設も自分が蒔いた種ですから、致し方がないと考えると私は思いました。

しかし、父は佐藤建設が困ると思ったのか「上棟時の支払金」では無く、「一時金」として貸した事を後で知りま
した。

そんな父の行為を佐藤建設は、根底から裏切る行為をしていたのです。勝手に、契約とは違う「部材」に変更
していた
のですから・・・。
写3 巨匠・菊間建築士と佐藤建設では、建て方も中途半端なのに「上棟」と呼ぶそうです! こんな写真を見ると、業者の選択は「建設途中」を見るのが一番だと思いませんか?


□上棟式に呼ぶ必要性が無い? 資材販売会社「野村商店」の出席は巨匠の指示か

佐藤建設の大失態は両親の気持ちを、踏みにじるものでした。しかし、佐藤建設の手による「上棟式」の出席者も大問
題でした。

写4の「上棟出席リスト」をご覧下さい。これは佐藤建設が作成したものですが、出席の7割の人員が「佐藤建設」の
人たちです。ご丁寧に「佐藤社長」の名前もリストに明記され、「ご祝儀」をせしめています。

当然、「巨匠・菊間建築士」は、“別枠”でリストアップされています。

そもそも、上棟式には施工に「直接関係のある職人さんたち」が出席するものばかりと、私たちは思っていましたし、
過去に家を建てた時も、そうでした。

しかし、佐藤建設は単なる「屋根部材」の仕入先の営業マンを、招聘していたのです。その営業マンは、伊東市にある
建築資材販売会社の「野村商店」に所属する者で、私たちとは、竣工後も、一度の面識も無く終わるような人です。

この「野村商店」はその後、虚言をはじめ、様々な問題を起こします。

これら不可解な人選は、巨匠・菊間建築士の指示だったのでしょうか。それとも、佐藤社長の仕入れ業者に対する“思
慮深い“配慮なのでしょうか。何れにせよ、伊東の業者は不可解な事が多すぎます。

首都圏からの移住者を、食い物にしているように思えてなりません。

写4 佐藤建設・佐藤社長の手による「上棟式出席リスト」。出席者のほとんどが「佐藤建設ファミリー」で占めれていた。社長自らもご祝儀をいただく姿勢に正直なところビックリしたもの単なる小売店「野村商店」の営業マンまで、名を連ねており、開いた口がふさがらない


□欠席者の「ご祝儀」を着服した佐藤社長!

佐藤建設は私たちの建築に係わる人間には上棟の日取りを知らせなかった事も最近になって分かりました「上棟出
席リスト」には、名前が書かれているのに・・・・。私たちには「(その業者は)多忙のため、欠席するそうです」の様な事
を口にしました。上棟終了後、「ご祝儀」をはじめとする引き出物類を佐藤社長は「(私の方から)手渡しておきます」と言
いながら持ち帰りました。

欠席した業者に手渡されるはずだった「ご祝儀」他一式は、実際には佐藤社長からは一切、手渡されず、『着服』され
ていたのです(写5)

泥棒ですね!

「上棟式」での大失態をやらかした佐藤建設ですが、他人様に用意した「お祝いの品々」まで失敬するとは一体、どこ
まで腐ってるのでしょうか。人の好意を平気で踏みにじるのは、朝飯前なんですね。

これが伊東市役所主催の「気になる住まいの相談会」で、相談員をしていた伊東建設業協同組合員・佐藤州彦社長の
真の姿だったのです!

私たちはこの後も、伊東の建築業者達に、騙され続けてしまうのです――。

写5 上棟の事を知らされて無かったため、出席出来なかった某社の役員の直筆署名が入る文書。佐藤建設はどこまで、腐った事をするのか。「ご祝儀」他一式は、“偽組合員(「気になる住まいの相談会」組合には相談内容を秘匿した!ご参照)”にでも渡したのだろうか?


□上棟終了後3週間近くも現場を放置

後味の悪い「上棟式」の後、母は心労で寝込んでしまいました。こんな事を「1千万円」ものお金を借りた人間がや
るのでしょうか。尋常の人間なら、恩義に報いるために精一杯の仕事をしてくれると考えるのは、間違いでしょうか。
大失態を犯した佐藤建設ですが、中途半端な状態のまま、3週間近くも現場を放置したのです。炎天下、養生もせ
ず、部材は地べたに置いたまま。何だかバカにされた感じでした。

巨匠・菊間建築士は一体、監理者としてどの様に考えていたのでしょうか。スケジュール管理は出来ない、業者に
指導も出来ない。当然、両親は別として、私はこの頃から巨匠・菊間建築士にも『疑いの目』を向けるようになりま
した。

建築士、それも伊東では巨匠と呼ばれている菊間建築士がついていたのに、建設業者と問題が起きようとは想像
もしませんでした。なぜ、業者を厳しく指導できないのだろうか私なりに考えてみましたが、「建築士は建設業者が
本来のお客様で(キック・バック)、建築主は“小遣い程度しかくれない人”」
。そんな図式があるのでは、と思っ
たのです。

佐藤建設は、私たちに「明日は必ず職人が行きます」と言いながら、上棟式の後、実際に作業を開始したのは8月27
日の事でした。

しかし、27日に来た職人で上棟式に出席したのは、ひとりだけ。残りは、見ず知らずの職人でした。

佐藤建設に対しての疑問は、ますます深まる一方です。外注業者が決して悪いと言ってるのではありません。

「上棟後の作業は、佐藤建設の中で“一番腕の良い大工”をまわします」と言っていたのに係わらず、実際は誰が見て
も適当な作業を平気でする、責任感の無い、単なる外注業者(無許可建設業者・建築三浦)だったのです。

結局、本来の「上棟式」を迎えられる姿になったのは、8月28日でした。屋根葺きはまだまだ、予定より遅れて
いました。

この屋根葺き作業の遅れと養生を怠ったため、その後、拙宅は取り返しのつかない状況になってしまうのです。

それにどう、頑張ってみても竣工予定日の11月30日には間に合わない様相です(写6)

この頃になると両親も、現場に行くのは苦痛だったと言います。本来なら、楽しいはずの建築現場です。私たちが現
場に出向くと、職人に露骨に嫌な顔もされました。

仕方が無いので、いつのまにか差し入れだけして、そそくさと現場を後にし、職人が帰ってから私たちは現場をゆっくり
見る様になりました。「やぶ蚊」の攻撃にガマンしながら――。

私たちのフラストレーションは堪る一方でしたが、巨匠・菊間建築士は「我関せず」の姿勢を貫き通していました。
建築主より、業者を庇護する。それが巨匠・菊間のスタンスでした。

伊東は「悪徳業者の巣窟」と感じたのと、伊東市役所は「業者の信用調査」を疎かにしていたのでは、と、痛切に感じた
のです。

写6 かろうじて「上棟式」に臨めるような姿になったのは、8月も終わりに近い28日のこと。しかし、屋根葺き工事は、『スケジュール通り』に進まなかったのと養生不備から、拙宅は雨水の浸入により、大打撃を受けることになってしまいました

 

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